蕨 市 内 の 散 策

新幹線が巣立った町(蕨)

読売新聞 朝刊 2013.06.16(日)より

蕨工場で製造される0系新幹線
(日本車両製造提供)
 蕨駅近くを輸送される0系新幹線
1964年6月撮影
「日車の車両史『0系新幹線電車』」より

その後、蕨工場では量産体勢に入り、71年に工場を閉めるまで、0系新幹線を212両
製造した。
「工場の塀の向こうに、新幹線の屋根や0系の『丸鼻』が見えた」と振り返るのは、蕨西口の
近くにある店内を鉄道模型が走るスナック「蕨鉄道」のマスタ-。
「子どもの頃『あそこで新幹線を造っている』って大人たちに言ったんだけど、
『そんなわけないだろう』って誰も信じてくれなくてさ」。
新幹線の輸送は、在来線の運行が終了した深夜だった。
蕨工場で新幹線を製造していたことを知る周辺住民は、それほど多くなかったのかも
しれない。
                       
              
      0系量産後、マンモス団地に

蕨工場と名が付いていたものの、工場があったのは、隣接の芝村(現川口市)だった。
「蕨市史」によると、1920年代、手狭になった東京・墨田の工場の移転先を探していた
日車は、与野、浦和、蕨のエリアで候補地を絞り込み、一時は蕨町(当時)に決まりかけて
いた。
だが、「村の発展のためには大工場を誘致するしかない」と考えていた芝村が、熱烈な
誘致活動を展開し、駅から近い3万8810坪の土地を時価の半額ほどで日車に提供する
ことで誘致に成功した。
蕨駅構内には34年の工場開業時から引込み線が敷かれ、合わせて駅の拡張・改修工事
もおこなわれた。
蕨とすれば、隣村に工場を横取りされてしまったものの、駅の改築・社員寮建設、駅前の

商業の発展など、恩恵は十分に受けたと言えそうだ。
広大な工場跡地には、敷地をほぼそのまま利用する形で、UR都市機構の「川口芝園団
地」(2454戸)ができた。
マンモス工場がマンモス団地に姿を変えて30年以上が過ぎ、新幹線の思い出を語る人は
少なくなった。
JRの社員ですら、赤茶けた保守用線路の上を、半世紀前に夢の超特急が通過していった
ことを知る人はもはや少数だ。
蕨駅は7月、開設120周年を迎え、7月13日〜15日に「わらてつまつり」として様々なイベ
ントが開催される。
実行委員を務める前述の荒井さんはこう語る。
「新幹線は日本が世界に誇る文化財のようなもの。その源流をたどれば、蕨に突き当たる
のです。」

(堀合英峰記者)
       特に興味のあった新聞記事だったので、原文のまま掲載しました。

私事ですが、当時 日車蕨工場には、病院があり、わたしの父が入院していたこともあり、
上記のような体験を今になっても思い出します。
線路をはさんで高い塀に囲まれていたところにシ-ト・ホロをかぶった0系が見られました。
ちなみに、蕨工場閉鎖後、愛知県・豊川市にある豊川製作所を「豊川蕨製作所」に改称。
蕨の名前は、いまでも残されている。



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